過去の演目

第17回 田村(たむら) 替装束(阿紀神社)

あらすじ

東国の僧が都見物に現れ、弥生(やよい)なかばに清水寺に着き、爛漫と咲くたそがれ時の桜花に見とれていると、箒(ほうき)を手にした一人の童子が現れ、木陰を清めます。そこで僧が、この寺の来歴を尋ねると、それに応じて、清水寺建立の縁起を詳しく語ります。またあたりの名所を教え、ともに桜月夜の風情を楽しみます。その様子が常の人とはどうもちがうのをいぶかった僧が、童子に名を尋ねると、我が名を知りたくば帰る方を見て下さいと、田村堂の内陣へと姿を消します。

<中入>僧が夜もすがら桜の木蔭で経を読んでいると、威風堂々たる武将姿の坂上田村麻呂の霊が現れます。そして勅命を受けて、鈴鹿山の賊を討伐すべく軍を進めたが、合戦の最中に千手観世音が出現し、その助勢によって、敵をことごとく滅ぼした有様を物語り、これも観音の仏力であると述べます。

見どころ

修羅能というのは、生前、戦に加わった者が、死後修羅道に堕ちて、その苦患(くげん)を見せるというのがパターンになっており、主人公はおおむね、源平両家の武将です。ところが、この能のシテ坂上田村麻呂は、平安初期征夷大将軍として賊を討ち、世を乱す鬼神を退治した武人です。また前シテが老翁でなく童子であるのも、他の修羅能と異っています。内容的にも、その田村麻呂を擁護した清水観世音の霊験譚ともいえるもので、前段でその縁起を、後段ではその奇瑞(きずい)を説く、という脇能に近いものになっています。修羅能ながら祝言の味わいの濃い能なので、「修羅の祝言」といわれたりしますが、むしろ「軍体の祝言」という方がぴったりしています。

前段は、清水寺の縁起を説くのが主ですが、脇能のように、老人の居語(いがた)りではなく、可憐な少年が、春日おぼろな花の下に現れての物語りで、神体のいかめしさはなく、つづいて名所教えと移るので、全体に華やかで優雅な風情があります。後段は、観音の助力を得ての勇壮な戦物語です。修羅物のつねとして〈翔〉(かけり)をまいますが、これも地獄の責苦の表現ではないので、颯爽と闊達にまいます。古書には「祝言のカケリ」といった言葉も見えます。キリは詞章に合せて、激しい型の所作がつづき、胸のすく思いがします。前後を通じていささかのかげりもなく、修羅の苦しみには全く触れていません。他の修羅物とは趣を異にし、品位と豪快さは随一です。

備考

「田村」と源義経をシテにした「屋島」、梶原源太をシテにした「箙」(えびら)を"勝修羅三番"といいます。勝戦でのシテの武勲の様を描いたもので、他は負修羅と呼ばれています。修羅能の前シテが童子であるのは異例ですが、これは田村丸伝説が作用しています。

解説文:権藤芳一氏

その他の上演