過去の演目

第18回 国栖(くず)(阿紀神社)

あらすじ

宮中で争いがあり、大友皇子に追われ都を出た清見原天皇は、供奉の者に守られて吉野の山中、国栖まで逃げてこられます。川舟に乗って帰って来た老人夫婦は、わが家の方に星が輝き、紫雲のたなびいているのを見て、高貴な人のおいでになることを知ります。侍臣は老人に、清見原天皇であることを明かし、何か召上り物を差上げてくれと頼みます。夫婦は根芹(ねぜり)と国栖魚(鮎)を献上します。供御(ぐご)の残りを賜った老翁は、吉凶を占うべく、国栖魚を川に放つと、不思議にも生き返ったので、天皇がやがて都へお帰りになる吉兆だと喜びます。そこへ追手が迫りますが、夫婦は岸に干してある舟の下へ天皇を隠し、敵をあざむいて追い返します。天皇は、老人夫婦の忠節に感謝し、身の拙(つたな)さを嘆かれるので、夫婦も涙にむせびます。やがて夜もふけ静まり、夫婦はなんとして御心を慰めようと思ううちに、妙なる音楽が聞こえ、老人夫婦の姿は消え失せます。かわりに天女が現れ舞をまい、ついで蔵王権現も出現し、激しく虚空を飛びめぐって、天皇を守護することを約し、御代を祝福します。

見どころ

壬申の乱(六七二)に材をとったもので、清見原天皇とは、史実では大海人皇子、のちの天武天皇のことです。劇的な内容であり、王難を助ける鄙人(ひなびと)の素朴果敢な気迫が一貫しています。世阿弥が複式夢幻能の様式を完成し、幽玄の美学を採用する以前の古作の趣を残した、賑やかで爽快な能です。

老人夫婦が川舟の上から、自分の家の上の彗星を見て驚く導入部の会話も、方言の味わいがあり、いかにもおおらかです。2.3日物を食べていない天皇に心のこもった食事を捧げる部分も、古代人の天皇に対する素朴な嵩敬と愛情の表現が素直に共感されます。食べ残した鮎が生き返って、激流を泳ぎ去る奇瑞(きずい)は、〈鮎之段〉とよばれ、天皇の将来を占う鮮烈な型所とされています。つづいて、〈早鼓〉という激しいテンポの囃子になって、追手がかかる場面に変ります。大きな舟の作り物を、シテとツレがかついで来て、その下へ子方の天皇を隠すという意表をついた演出は、スリルと共にユーモアがあります。追手と老翁との問答は非常に劇的で、空とぼけた爺さんが次第に相手を圧倒してゆくのは痛快です。追手が帰り舟の下から天皇が出てからは、舞台は一寸しんみりします。しかしすぐにつづいて、天女ののびやかな舞、蔵王権現の豪快な所作があって、一気に曲が終ります。

備考

老人夫婦が実は蔵王権現や天女の化身であるという考え方は、むしろ能の形式が統一されてからのもので、老人夫婦は中入せずそのまま居残って、別の演者が蔵王権現や天女に扮して登場した方が自然ではないかと思われます。

解説文:権藤芳一氏

その他の上演