過去の演目
第15回 清経(きよつね) 替之型(阿紀神社)
あらすじ
平清経の家臣、淡津三郎(あわづのさぶろう)はひそかに一人で九州から都に戻ってきます。清経は、平家一門と共に幼帝を奉じて都落ちし、西国へと逃れますが、敗戦につぐ敗戦に前途を絶望して豊前国(福岡県)柳ヶ浦で船から身を投げて果ててしまいます。三郎はその形見の黒髪を清経の妻に届けるために戻ってきたのでした。 その話を聞いた妻は、せめて討死するか病死したならともかく、私を残して自殺するなんてあんまりだと嘆き悲しみます。そして形見の黒髪を見るに忍びず涙ながらに床に就くと、夢の中に清経の霊が現れ、妻に呼びかけます。 妻は嬉しくはあるものの、再び生きて姿を見せてくれなかったことを恨みます。清経は、都を落ちた平家一門が筑紫での戦にも敗れ、願をかけた宇佐八幡の神からも見放されたいきさつや、敗戦の恐ろしさ、不安、心細さを話して聞かせ、最後には、望みを失って月の美しい夜ふけ、西海の船上で横笛を吹き、今様(いまよう)を謡って入水したことを物語って妻を納得させようとします。続いて修羅道の苦しみを見せますが、実は入水に際して十念を唱えた功徳で成仏しえたと述べ、消えてゆきます。
見どころ
平重盛の三男、清経のことに関しては「平家物語」「源平盛衰記」にそれほど多くの記述はありません。そのわずかな資料で、世阿弥は大変魅力的な能を作り上げました。
この能は、修羅物としてはかなり特異な構成と性格を持っています。シテがまず化身で行きずりの旅僧の前に現れ、後段で本体を現して、修羅道の苦しみを救ってもらうのでなく、一場物で、妻の夢枕に静かに立つという、浪漫的な色彩の濃い曲。自らそこには美しい詩情と哀愁が流れて、優雅なものになっており、修羅能の中でも幽玄味のかった能です。また、この曲ではワキの役割が非常に稀薄です。役柄も家臣で、早々に舞台から退き、ツレが他の曲のワキの位置にあって、シテと応対します。
平家物語には清経のことを「もとより何事も思い入れける人」と書かれています。考え深く行動力に欠けたインテリが、心ならずも戦に巻き込まれていく悲劇、そして精神的に追い詰められてゆく様子を、この曲は見事に描き出しています。その状況に雄々しく立ち向かう闘志も勇気もなく、ただ「雑兵の手にかからんよりは」というプライドだけが残っている。花々しく戦死した若武者とはまた違った哀れさがあります。
備考
古書に「芭蕉と清経を舞い覚えたれば上手なり」とあります。「芭蕉」は無機的な型の積み重ねで情趣を出す曲であるのに対して「清経」は詞章の文意に合った型を細かく演じ、心理や状況を表現することが要求される曲です。