過去の演目

第13回 班女(はんじょ)(阿紀神社)

あらすじ

美濃国(岐阜県)野上の宿の遊女花子は、東国へ下る途中に立ち寄った吉田少将と契りをかわします。それ以来、花子は自分の部屋に引きこもって、形見に取り交わした扇に眺め入り、勤めに出ようとしません。それを怒った宿の長は花子を呼び出し、口ぎたなくののしって追い出してしまいます。

<中入>東国からの帰り、再び野上の宿を訪れた少将は花子の不在を聞き、もし戻ったら都へ上るよう伝言します。少将は都に着くとすぐ糺(ただす)の下賀茂の社へ参詣します。すると、そこへ今は班女と呼ばれている花子が現れます。彼女は少将への恋慕がつのって物狂となったのです。神に祈願を捧げる花子に、少将の供の者が狂って見せよとうながします。花子はその無情さをたしなめつつも、思慕の情のせつなさに心がたかぶり、形見の扇を手にし、玄宗と楊貴妃のむつまじい仲をうらやみながら、秋の扇と捨てられた班女と同じ自分の身の上を悲しみ、少将のつれなさを恨んで狂おしく舞います。やがて、その扇に気のついた少将は、自分のもっている扇と彼女の扇とをくらべて、この女こそ自分がさがしていた花子であると知り、再び相逢うことが出来たことを喜びます。

見どころ

男を恋い慕い、物狂となってさまよう遊女のひたむきな愛を描いた能です。世阿弥自身「恋慕のもっぱらなり」(五音曲条々)と自賛しています。
ただ原作と現行のものとでは、役の上で異同があります。後場で都についたばかりの少将の供が「いかに狂女、なにとて今日は狂はぬぞ」とか「さて例の班女の扇は候」などと、花子と問答するのは如何にも不自然です。これは別にもう一人、里人の役があったものと考えられます。そうした点をのぞけば、前場を〈狂言口開〉(きょうげんくちあけ)で始めて、簡潔に筋を運び、ワキも野上で、花子の不在を知ると、すぐに立って都へ着くなど、テキパキと進行し、男を待つ女のいじらしい恋慕の情をたっぷり見せる構成になっています。

この能には、〈翔〉ありますが、節もリズムも面白い狂女物独特の〈クルイ〉がなく、しっかりしたクリ、サシ、クセがあって、〈中之舞〉がまわれます。これは幽玄本位の三番目物に近い扱いをされている証拠で、〽欄干に立ちつくして」といった立ち姿にも、待つ女の優艶な風情があります。

備考

曲名の「班女」というのは、前漢の武帝に寵を得た班婕妤(はんしょうよ)の略称で、後に現れた趙飛燕(ちょうひえん)に帝の愛を奪われたので、我が身を秋になると捨てられる扇にたとえた嘆きの詩をつくりました。以来、捨てられた女を、秋の扇といい、本曲の主人公も、扇の縁で班女と仇名されたのです。そして、この能では、扇が悲恋の象徴として、また恋人との再会の契機として重要な役をもっています。

解説文:権藤芳一氏

その他の上演