過去の演目
第7回 巻絹(まきぎぬ) 神楽留(阿紀神社)
あらすじ
時の帝が不思議な夢を御覧になり、千疋の巻絹を諸国から集めて、熊野三社に奉納するようにとの宣旨が下ります。そして勅使が熊野にあって、国国から巻絹の集まってくるのを取りまとめています。ところが、都からの分だけが未だに到着しません。今やおそしと待っている勅使は、従者に、都の者が来ればすぐに連絡するように命じます。都からの使者は、はじめての紀伊国(和歌山県)下りであり、また大切な勅命でもあるので、緊張して旅を急いだのですが、熊野に着いて、まず音無天神に参詣し、折からの冬梅の見事さに一首の歌を詠み、神に手向(たむ)け、その後、勅使の前へ出ます。勅使は、使者の遅参の罪を責めて縛らせます。すると、一人の女が現れ、「その者は昨日音無天神に詣で、和歌を手向けた者であり、神も納受されたのだから、戒めの繩をとくように」といいます。彼女は音無天神の神霊が憑り移った巫女です。勅使は、この使者は賤しい身で歌など詠める筈はないと、神慮を疑います。そこで巫女は、その者に上の句を詠ませ、自分が下の句を続けて出来た――「音無にかつ咲きそむる梅の花」「匂はざりせば誰か知るべき」という一首を証拠に繩をとかせます。そして和歌の徳、経の威力を説きます。ついで勅使の求めに応じて祝詞をあげ、神楽を舞ううち神がかりの態になり、熊野権現の神徳を語りますが、やがて神は去り、巫女は狂いから覚めます。
見どころ
和歌の徳を賛えるのが主題ですが、作品としては、神楽を舞い神がかりの様を演じるのがねらいです。普通の神楽物は、二段形式で後場に女神自身が現れて舞うのですが、神がかりの巫女が舞うのが本曲の特色。シテはもちろんのことツレも大事な役ですし、狂言も活躍します。こうした点にも古作のおもむきがうかがわれます。
ツレは天神の前では、心の中で歌を手向けた態でそれを謡わず、巫女と一緒に勅使に披露するまでは、観客に伏せておきます。アイが「ガッキめ!やるまいぞ」と掛けた繩を、後にシテがといて「とくとくゆるし給へや」とワキへ投げるといった動作など、劇的な構成・演出が考えられています。またシテは、途中から神がかりになるのでなく、登場する時からすでに神がかりの状態です。この辺りは「蟻通」に似ていて、略脇能として扱われることもあります。一曲のクライマックスは、やはり、神楽からイロエ、キリにかけての部分で、だんだんに物狂しさが高まってゆき、突如、神が上がって本性に戻る――そういった変り目にご注目下さい。
備考
男性の場合は、水衣の上から腰帯をしめますが、女性の役で、水衣の上に腰帯をしめるのはこの役に限ります。
巻絹とは、軸に巻いた絹の反物で、献上物として特に高級品がえらばれました。