過去の演目

第26回 巴(ともえ) 替装束(阿紀神社)

あらすじ

木曽の山里の僧が都へ上る途中、近江国(滋賀県)粟津(あわず)の原までやってきます。そこへ一人の里女が現れ、とある松の木陰の社に参拝しながら涙を流しています。不審に思った僧が声をかけると、女は行教和尚も宇佐八幡へ詣でられた時「何事の おわしますをば 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」と詠まれたように、神社の前で涙を流すことは不思議ではないといい、ここはあなたと故郷を同じくする木曽義仲が神として祀られているところであるから、その霊を慰めてほしいと頼みます。そして実は自分も亡者であると言い残して、夕暮れの草陰に隠れてしまいます。

<中入>旅僧は、里の男に義仲の最後と巴御前のことを詳しく聞き、同国の縁と思い一夜をここで明かすべく読経し、亡き人の跡を弔います。すると先刻の女が長刀を持ち甲冑姿で現れ、自分は巴という女武者であると名乗ります。そして義仲の討死の様と、その時の自分の奮戦ぶりを物語ります。しかし義仲の遺言により一緒に死ぬことが許されず、形見の品を持って一人落ちのびたが、心残りが成仏の妨げになっているので、その執心を晴らしてほしいと回向(えこう)を願って消え失せます。

見どころ

修羅物の中でも女武者を主人公とした唯一の能で、その点でも異色作です。

普通の修羅物は、主人公が戦死をしたゆかりの土地に現れ、自分の討死した有様を物語り、修羅道での苦言の様を述べ、旅僧に回向を頼むというのが常型です。ところが、この曲ではシテの巴は討ち死にしていません。愛する男が死んだ場所から亡魂が立ち去れず、一緒に死ねなかった執念-恋慕の情のため成仏しえないという設定は特異です。したがってこの曲は修羅物とは言い難く、幽玄の情緒が多分に含まれており、雄々しい戦物語の底に流れる女の悲愁といったものを書き出しています。中入り前、折からの夕闇に名も名乗らず訴えるかのように消え失せるところの風情を大事にしたいものです。後シテも勇壮なうちにも哀れさをにじませます。鮮やかな長刀さばきで奮戦の様を見せるのが一番の見どころです。

巴に長刀を持たせたのは能作者の創意で「平家物語」には書かれていません。キリに一人の女性に帰った巴が愁嘆やる方なく、甲冑に模した唐織を脱ぎ、太刀を捨てて義仲の形見を胸に悄然と去っていく後姿には鬘物の情趣がうかがわれます。

備考

前シテが行教和尚の作として引いている和歌は、通常は西行法師が伊勢神宮に参った時の作と伝えられており、歌詞も「何事の おはしますかは 知らねども かたじけなさに涙こぼるる」とも言っています。

解説文:権藤芳一氏

その他の上演