過去の演目

第23回 山姥(やまうば) 白頭(文化会館)

あらすじ

京都に、山姥の山巡りの曲舞(くせまい)を得意としたことから百万山姥(ひゃくまやまうば)とあだ名されていた遊女がいました。彼女は善光寺参詣を思い立ち、従者を連れて旅に出ます。途中、越中・越後(富山県と新潟県)の国境の境川(さかいがわ)まで来ます。従者は里の男を呼び出して、善光寺への道を尋ねると3つの道があるが、そのうち最も険難である阿弥陀如来が通られたという上路越(あげろごえ)をすすめ、自分が道案内をしようといいます。遊女も乗り物を捨て徒歩で後に続きます。しばらく進むとにわかにあたりが暗くなり、一行は当惑します。すると一人の女が現れ、宿を貸そうといい、自分の庵へと案内します。山の女は、山姥の歌を聞かせてほしいと頼みます。遊女のことや山姥の曲舞のことをよく知っているので、一行のものが不思議に思って名を尋ねると、自分こそ山姥であると明かし、夜更けてから歌ってくれたらもう一度姿を現して歌に合わせて舞おうと告げて消え失せます。

<中入>里の男は、従者に問われるまま山姥の素性についていろいろ物語ます。やがて夜も更けたので、遊女が笛を吹いて待ち受けると山姥が怪異な姿で現れます。山姥にうながされて遊女は恐れながら謡いはじめると山姥もそれに合わせて舞います。そして深山の光景、山姥の境涯を物語り、さらに春秋冬に花月雪を訪ねて山巡りする様を見せた後、いずこともなく去っていきます。

見どころ

山姥とは何か。山に踏み迷った人を喰う、といった恐ろしい鬼女ではなく、むしろ仙女といった感じです。山姥は自然そのものとも、人間の象徴とも考えられます。一曲を通じて凄愴な鬼気が満ちる中に一種の温和優美な感じもあり、初め渋みを持って引き締め、終わりには緩急ある節付けに力強い所作が伴い、独特の趣があります。ダイナミックで迫力に満ちた作品です。

備考

戦前には「山姥」と「江口」は一休和尚の作という通説がありました。禅味の濃い作品なので、よほどの高僧でなければ書けないだろうというわけです。

解説文:権藤芳一氏

その他の上演