過去の演目
第10回 安達原(あだちがはら)(阿紀神社)
あらすじ
紀州(和歌山県)熊野の山伏、阿闍梨祐慶(あじゃりゆうけい)の一行は、諸国行脚の途中、奥州(福島県)安達原に着きます。日が暮れたので、火の光をたよりに野中に一軒の庵を見つけます。一夜の宿を乞うと主の女は一度は断わりますが、是非にといわれ招き入れます。山伏が見馴れぬ枠桛輪(わくかせわ)に興味を持つので、女は糸尽しの唄を謡いながらそれで糸を繰る様を見せます。やがて女は「夜も更けたので もてなしの焚火をするために山へ木を取りにゆくから、帰るまで閨(ねや)の内を見ないでください」といい残して出かけます。
<中入>能力(のうりき)は余りにもくどく閨の内を見てはならぬといったので、かえって不審に思い、祐慶に許可を求めるが許されません。能力は山伏達の寝入った隙を見て、閨をのぞくと、そこには人の死骸が山と積んであるので、びっくりし、これこそ鬼の住家だと祐慶に告げます。一行は驚いて逃げ出すと、先程の女が鬼女の本性を現し、約束を破って閨の中を見たことを非難し、恨み、襲いかかって来ます。山伏達は必死に祈るので、鬼女は遂に祈り伏せられ、恨みの声を残して、夜嵐とともに消え失せます。
見どころ
安達原の鬼女伝説はむしろ能作者の創作で、この能によって広く流布し、発展していったものと思われます。単なる鬼婆物語でなく、人間の宿業(しゅくごう)の悲しさを描き出した傑作とされています。前段は、茫莫とした薄(すすき)の生い茂る荒野の一軒家に、一人わびしく年老いた女の住むところへ客僧達が訪れるといった艶気のない物淋しい状況設定で、その女が糸車を繰りながら人の世の無常を嘆き、物寂びた風情を更に強めます。山へ薪を取りに出かけるのも全くの好意からで、留守に閨を見てくれるな、と繰返して頼むのも、自分の本性を知られることを恐れてのことで、始めから害意はありません。鬼女となるのは、約束を破られたことへの失望と怒りによるものです。「見るな」という閨は人間の孤独の秘密、鬼女の姿は、男性の破約に対する女性の絶望と恨みと怒りの象徴と見ることも出来ます。
前シテが作り物から出る時、その扉をあまり広く開けるのは無神経です。自分の体が出るだけ開け、すぐ閉めるのだという口伝もあります。『隣忠秘抄』という本にも「この能の大意、作物の内を隠す心、専一なり」とあります。地次第からサシ、クセ、ロンギにかけては、型はありませんが、〈糸之段〉と呼ばれ謡のきかせどころです。閨をのぞきに出かけるところは能力が活躍します。
備考
「道成寺」「葵上」と共に〈三鬼女〉と俗称されていますが、他の二つはワキに直接恨みはありません。「安達原」のシテは三鬼女のうち最も手強く、ワキに立ち向かえと古書にあります。
観世流以外では「黒塚」を曲名にしています。