過去の演目
第20回 石橋(しゃっきょう) 大獅子(文化会館)
あらすじ
大江定基(おおえさだもと)は出家して寂昭法師(じゃくしょうほうし)と号し、中国、インドの仏教関係の遺跡を巡礼し、清涼山へやってきます。そして石橋を渡ろうとすると一人の童子が現れ「この石橋というのは千丈余りの谷に 幅はわずかに一尺にも足りないが 長さは三丈にも及ぶ石の橋です。人間が渡したのではなく自然と出現したものであり容易に人間の渡れるものではない」と止めます。そして向かいは文殊菩薩の浄土であるから、ここで待てばやがて奇瑞が現れるであろうと告げて立ち去ります
<中入>待つ間ほどなく、獅子が石橋の上に出現し、咲き乱れた牡丹花の間を勇壮に舞い戯れ千秋万歳を祝います。
見どころ
獅子と言ってもライオンのことではありません。中国の想像上の動物で、文殊菩薩の乗っている霊獣、百獣の王とされています。この獅子が百花の王、牡丹に戯れ遊ぶさまを写した豪快な舞を見せるのがこの曲のテーマです。
前シテの童子を樵翁(しょうおう)に変えることもあります。どちらにしてもこれというほどの型どころはありません。後の激しい動きをより効果的にする静的な風趣に味わいがあるのですが、ちょっと渋すぎる感じがします。かといって、三番目物の複式夢幻能の前場のような幽玄味には乏しいのです。この能はほとんどの場合<半能>として後半だけ舞われます。今日では、前後を通じて上演されることは極めて稀です。「猩々(しょうじょう)」や「菊慈童」のようにやがて一番物になってゆくのではないかと思われます。<半能>の場合は当然、間狂言はありません。
後場は舞台正面に一畳台を二つまたは三つ並べてそれに紅白の牡丹花を立てます。素朴な能舞台、豪華な能装束に、この絢爛たる作り物が見事に調和します。後シテの登場前に有名な前奏曲-乱序、露の拍子-が囃されますが、いかにも獅子が勢い込んで躍り出るにふさわしい予感が満場を緊張させます。
この曲の後シテは、本来赤頭の獅子が一人舞うものですが、「大獅子」の小書が付くと複数の獅子が登場します。二人でる時は白と赤となり、白はどっしりと、赤は敏捷にと対照的に動き、一段と興趣をまします。獅子舞はただ元気に任せて無闇と飛び跳ねるだけのものではありません。あくまで規矩(きく)正しく動き、端正な姿態を崩してはなりません。能の中で、もっとも雄壮にして豪華な曲です。
備考
江戸時代、将軍主催で「石橋」が出ると牡丹は全部縮緬(ちりめん)で作られ、演能後は獅子を演じた能役者に下されたとのことです。